壁にぶち当たって、悩んでじたばたしていると、ふと助けてくれる人が現れる。
そんなお話し。の第二話。
その企業を紹介してくれた僕の友人は、小田原市森林組合の佐藤さん。
高校で同じクラスだった同級生だ。
同級生、といっても当時は携帯もSNSもない時代、卒業して別々の進学先ともなれば自然と疎遠になってしまい、どこで何をしているのかも知らずにいた。
しかしそこは地元住まいのよいところ、詳しくは忘れてしまったけど、ある時ふと再会しSNSで連絡先を交換していたのだ。とは言え、約束をして会うわけでもなく、メッセージを交換するわけでもなく、「ゆるく」つながっている状態だった。
しかし時折タイムラインで目にする彼の活躍ぶりは、それはそれは素晴らしく、ただ同級生として(自分はなにもしてないけど)なんだか誇らしかった。それは、地元の山から伐り出した地元木材を、地元の店や企業で活用する活動だったから。
自然が好きだったという佐藤さん。卒業後は林学へと進み地元の森林組合に勤めてたとのこと。高校時代には「自然が好き」というのはつゆ知らず、「ちょいエロ&バスケ大好き」キャラだったと記憶している。
まさか(マジメにも)林業を生業としているとは。
一方、当時の私は「大の釣り好き」。
渓魚ヤマメを追い求めてマウンテンバイクを駆りテントを担いで半日かけて丹沢の山の中へもぐりこんだり、サッカー部を辞めて山岳部へと転部。さらに山奥を極めんと、友人のおやじさんに連れて行ってもらい、岩場のロッククライミングや懸垂下降に熱を入れる始末。とうとう進路を問われた際、迷いなく「水産学」と答えるほど、釣りバカだった。
そんなとき「推薦入試」を知った。
一般受験より前に行われ、決まってしまえば以降が自由になる。「推薦で受かってしまえばあとは釣りに行き放題だ」。ならば、どうするか?
推薦入試には、面接が重要だ。そうなると必ず聞かれることがあるだろう。
「なぜ水産を目指すのですか?」
「なぜ本学を志望するのですか?」
まさか「釣りがしたいからです」とは口が裂けても言えない。
そう考えた青年は、新宿西口の紀伊国屋書店(当時は首都圏最大級の本屋)へと遠征し、水産の本を探した。
「読んで、それに影響されたことにしよう。」
出会ったのは「木を植えて、魚を殖やす」柳沼武彦著(1993)
海の魚が減ったのは、山が荒れたから。そんな内容だったと思う。
これまで、「釣った魚が減ってしまうのなら、養殖して放流すればいい。」
そう考えていた釣りバカにとって「環境を守れば、魚は殖える」とは晴天の霹靂であった。
<試験のその後>
一夜漬けで聞きかじった、しかも本に書いてあることを、その道の専門家に論じたところに無理がある。けちょんけちょんに突っ込まれ、パニックに陥った面接は、まったく記憶にない。
たった一つ憶えているのは..
面接官:「本学の気に入ったところはどこですか?」
ワタシ:「あ、ぁぁ、(ええっと、ええっと...)...門の前の木が素敵ですね…」
校門のヤシの木を褒め称えた意味不明の回答を残し、青春の野望はオワった。
それはそうと。
どうにか一般入試を経て進学した水産の道。
講義はこの上なく楽しかった。
連綿と育まれる生態系のメカニズム、多種多様な共生関係、地球の長い歴史の中、刻々と変化する環境に合わせて進化を続けてきた生物たち。
川魚は水生昆虫を食べる。水生昆虫はコケを食べる。コケは水中の栄養で育つ。水中の栄養は、森の木々の葉がもたらす。木々は陽光と雨水を浴びて成長する。雨水は雲から生じる。雲は海水が蒸発したもの。
一連の流れは、水を媒介として、いきもの達の体の中に留まり、やがて流れていく。木は水を貯め、土を創り、命を育む。
好き勝手に進路を決め、運命(というか努力不足)によって決められたかのような人生も、高きから低きへ流れる水のように、必然に定められある一点へと集まってくる。
高校時代にほんの一瞬を共に過ごした友が、こうしてまた「木」を縁に繋がることは、偶然と呼ぶには違和感がある。木が人を育て、木が縁を繋ぐ。
ただそう思いたいだけの中年の妄想な気もするけど、それはそれでいいでしょ。
と思うことにする。
だって、紹介してもらったその方、その企業。
それがまた、ワクワクするひとだったからだ。木縁は奇縁。
第三話へつづく
オクツP
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